2011年01月02日
障害者と健常者、2つの世界を一緒にする!
障害者を「戦力化」できている企業は稀なのが現状だ。多くの企業経営者や人事担当者にとって、障害者雇用は「渋々ながら取り組んでいる義務」あるいは「やむを得ず支払っている社会コスト」というのが本音であろう。だが、「障害のある社員」が生産や販売、顧客対応、さらには商品企画・開発の現場で、「即戦力」として企業に貢献しているケースは少なくない。「なぜ、彼らはうまくやっているのか?」。本コラムでは、障害者雇用の最前線の取材を通じて、「企業におけるダイバーシティ=人材力を最大限に発揮する経営」の真髄を探っていく。
~日経ビジネスより~
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100325/213601/
障害者と健常者、2つの世界を一緒にする!
東京富士大学卓球部《後編》
(「『日本卓球の中興の祖』が極める指導者の神髄《前編》」から読む)
福原愛選手をはじめ、数々の一流選手を育ててきた名コーチの西村卓二・東京富士大学卓球部監督(元卓球女子ナショナルチーム監督)。その指導を受けたいと、健聴者しかいない同部に飛び込んだ聴覚障害のある上田萌、佐藤理穂両選手。
昨年9月に台北で開かれた「第21回デフリンピック」(4年に1度開かれるろう者[聴覚障害者]の国際スポーツ大会)の女子卓球シングルスでそれぞれ銀、銅メダルを獲得するなど、西村監督の指導の下、着実に成長を続けている。
それから約1年。上田さんは3年生に、佐藤さんは2年生にそれぞれ進級。寮で上田さんと同じ部屋で生活し、面倒を見てきた先輩の加能尚子さんは4年生になり、今年度のキャプテンを務めている。
3選手と西村監督それぞれに、東京富士大学での競技生活と将来の夢についてインタビューした。
3時間を超える激しい練習の後、加能尚子さん、上田萌さん、佐藤理穂さんの3選手に体育館の脇にある監督室にもう一度集まってもらった。少しでも本音に迫りたいと考え、あえて西村卓二監督には席を外していただいた。

インタビューに答える加能尚子さん(左)、上田萌さん(中央)、佐藤理穂さん(右)(撮影:高嶋健夫)
念のため、手話通訳者を呼んでおいたが、上田さんも、佐藤さんもこちらの質問は「読話」でほぼ理解できていた。答えも発話で行い、聞き取れなかった場合だけ、手話通訳者に助けを求めた。
親友であり、良きライバルであり
―― 上田さん、佐藤さんは、子どもの頃に卓球を始めたとうかがっています。卓球に魅せられた理由は何ですか?
上田 私は4人兄弟なんですが、2番目の兄が同じ聴覚障害者で、卓球をやっていたことから興味を覚えました。まだ5歳の頃でしたが、たった1歳しか年が変わらない福原愛さんの試合を生で見て、憧れたのが直接のきっかけです。
―― 福原さんが「天才少女」と呼ばれていた頃ですよね。自分で始めてみて、卓球の魅力はどんな点にあるのでしょうか?
上田 卓球を通して、いろいろな出会いがあることです。私は小学校はろう学校に通いましたが、卓球以外では、健常者の人たちと関わりを持つ機会はほとんどありませんでしたから。
佐藤 私は協和発酵キリンの監督をしている父や兄の影響で、小学4年生の時に本格的に卓球を始めました。一番の魅力は、競技を通して自分をアピールできることです。
上田さんが中学、高校で全国大会に出場していたことは前編で既に紹介した。同じように、佐藤さんも中学3年生で全国中学校大会に出場、高校は卓球の名門、淑徳SC高等部に進み、インターハイに出場するなど、立派な成績を残している。2人が知り合ったのは、小学生時代でそれぞれ2年生と1年生の時。それ以来、お互いに励まし合う親友同士であり、卓球を始めてからは選手としての良きライバルでもある。
―― 改めて、東京富士大学を進路に選んだ理由をうかがいます。
上田 この大学でもっと成長したいと思ったからです。西村監督の指導を受けて、卓球についても、人間としても、いろんなことを学びたいと考えました。
佐藤 高校の時には、必ずしも完全燃焼できませんでした。だから日本一環境の整ったこの大学でもう一度挑戦したい、人間教育を大切にしている西村監督の下でもっと成長したい、と考えて進学しました。
試合会場で困るのはアナウンス
上田さんも、佐藤さんも、デフリンピックなどの聴覚障害者の大会だけを目標にしているわけではない。一般の学生リーグ戦などにも出場し、健聴の学生たちと戦っている。西村さんの言によれば、「いわゆる障害者スポーツとは違い、健聴者と全く同じ土俵、同じルールで戦うことに挑戦している」のである。
―― 健聴の選手と試合する際に、聞こえないために困ることは?
上田 試合会場で、自分が出る試合の卓球台がどこか、分からないことがあります。何番目の台で誰と誰が対戦するかは、試合当日、会場内でアナウンスされるだけなんです。それが分からず、焦ってしまうことがあるんです。
―― 普段の練習や日常生活で困ることは?
上田 子どもの頃は、同じ聴覚障害の兄がいたことで随分と助けられました。普通校の中学に入る時も、兄を知っている先生方は、聴覚障害者との接し方をよく理解されていましたから。
大学に入ってからも、ほとんど困ることはありません。1対1で話す時は、監督をはじめ部員は皆、大きく口を開けて、ゆっくりしゃべってくれますし。監督が部員全員に話す時など、1対複数ではよく分からないこともあります。でも、そんな時は誰かが後でフォローしてくれますから、不便さを感じることはありません。
佐藤 私も普段はほとんど困ることはないです。皆がかばってくれますから(笑)。ダブルスの試合中に、パートナーの口の開き方が小さくて、指示がよく分からないことはありますが、それもお互いに注意して解消するように努力しています。
上田さんも、佐藤さんも礼儀正しく、そして明るい。インタビュー中に、筆者が彼女たちの発した言葉を取り違えたことがあった。そんな時も、2人は萎縮することなく、「違いますよぉ」とケラケラ声を出して笑い弾ける。箸が転がってもおかしい年頃なのだろうが、ここまで素直な態度が取れる聴覚障害者には滅多に出会わない。すっかり彼女たちに魅せられてしまった。
「分からない」と言わないと、相手も分からない
「困ることはあまりない」という回答も、決して建前ではないだろう。だが、あまりにも優等生的に過ぎて、少し喰い足らない。そこで、2人を支えてきたキャプテンの加能さんに質問を振った。加能さんの立場は、会社組織に例えれば、偉い上司と若手・新人社員の間に立つ中間管理職にも似ている。つなぎ役には、人知れない苦労がつきまとうものである。
―― 上田さんが入学する時、西村監督に相部屋になるよう指示されました。その時、どんな気持ちでしたか?
加能 私で大丈夫だろうか、と不安でした。障害のある人と暮らした経験はもちろんありませんでしたし、親元を離れて1人で出てくる上田を支えなければならない責任の重さを感じました。
―― 最初の出会いから丸2年が過ぎた今はどうですか?
加能 上田も、佐藤もご覧の通り、明るくて素直なんで、とても助かっています(笑)。キャプテンとして皆に伝えることは、上田も佐藤もしっかりと理解してくれています。最初は人間恐怖症みたいなこともあるのかなと思っていましたが、全然違いましたね(笑)。ひたむきに練習に打ち込む上田と佐藤を見て、私のほうが励まされている感じです。
―― 2人の後輩とぶつかり合うようなことはなかったのですか。特に上田さんとは寮で同室。いろいろあったのでは・・・。
加能 話をする時に、しっかりと口を開かないと彼女たちには分からない場合があるのは確かです。上田も最初の頃は、分かったふりをしていることがありました。だから、「分からないとちゃんと言ってくれないと、こっちも困るんだよ」と、思い切って言ったことはありましたね。
上田さん本人は筆者の質問に対しては決して明言しなかったものの、そうした行き違いは、実は上田さんにとっても大きな悩みだったようだ。
西村さんが「取材の助けになるかもしれないから」と貸してくれたDVDの中に、そのことをうかがわせる場面が収められていた。デフリンピックに挑戦する上田さんたちの姿を追ったNHKや民放の報道番組数本を編集したものである。関西テレビが放映した関西ローカルニュースの特集に、1年生の最初の正月休みに帰省した上田さんと家族の久々の団欒を収録したシーンがあった。
食事を終え、母親と静かに語り合う上田さん。「困ったことはない?」と聞くお母さんに、しばらく沈黙した後、「あまり私に仕事をさせてくれない。何かあっても『私がやるからいいよ』って・・・」と答える上田さんの目には涙が浮かんでいる。じっと聞いていたお母さんは、こう言って諭し始めた。
「それは本当に優しい気持ちで言ってくれているんじゃない? 優しくしてくれたことに文句は言えないけど、確かに、優しさが辛いことだってあるよね。でも、それは萌から言わないと、(周りの人には)分かってもらえないよ」
かたわらで、同じ聴覚障害のある5歳年上のお兄さんが優しい表情でうなずく。そんな会話をしているうちに、上田さんは笑顔を取り戻していた。
この時の母子の対話と、加能さんが明かしてくれたエピソードが同じ時期の出来事だったかどうかは分からない。恐らくは、小さな衝突を含めて、こうした葛藤は何回もあったに違いない。いや、今でも時には繰り返されているだろう。それでも、3人の若者は口を揃えて「困ることはありません」と屈託のない笑顔で言い放つ。
双方を知るから、できることがある
これ以上深追いすることは止めて、それぞれに今後の目標や将来の夢を聞いた。
上田 卓球を通じて学んだことを活かしたいです。でも、まだ卒業後のことは具体的には考えていません。当面の目標は、2013年にアテネで開かれる次のデフリンピックに出場することです。
佐藤 私も今は、アテネで金メダルを取ることが目標です。そのために、これからの生活を大切にしたいと思っています。
一方、卒業を控えた加能さんは、より具体的な目標を語った。
加能 大学院への進学を希望しています。卓球部では上田たち聴覚障害者や中国からの留学生とも出会って、たくさんの経験をさせてもらいました。この貴重な経験を活かしながら、スポーツ教育に関わる仕事に携わりたいと思っています。
締めくくりに社会に対するメッセージをお願いしたところ、上田さんはしっかりとした口調で、次のように答えてくれた。
上田 私はこれまで健常者の中でも、ろうの人たちの中でも同じ卓球をやってきて、双方のいいところを自分に取り込むことができたと思っています。だから、どちらも経験している自分には、どちらにもそのことを伝えることができるはず。2つの世界が一緒になれるように、壁を少しでも低くしていきたいです。
「過親切」はかえって煩わしいはず
彼女たちに礼を述べ、入れ替わりで、西村さんにも今一度インタビューをお願いした。
―― 上田さんと佐藤さんを指導するに当たって、基本に据えているポリシーのようなものはあるのでしょうか?
西村 結局のところ、私は彼女たちとアスリート、競技者として付き合っている、ということですよね。同じルール、同じ用具で戦う以上、選手である彼女たちは障害があることを言い訳にはできない。指導者である私も、全く同じアスリートとして接しなければならない。そういうことだと考えています。
―― ですが、聞こえないという障害は、現実にありますよね。
西村 周囲の皆が理解したうえでの個別配慮は必要です。それはえこひいきではない。ですが、その理解がないと、本人たちには重荷になったり、時に卑屈になったりもする。要は、選手の立場になって考えることです。親切にし過ぎてはいけない。過保護ならぬ、「過親切」はかえって煩わしいのではないでしょうか。これは別に障害者だからと言うのではなく、誰だって同じですよね。
―― 彼女たちを実際に指導する時に心掛けていることは?
西村 これはほかの選手に対しても同じですが、大事なのは自分で考えさせること。いかに自立させるかです。そのためには、現場主義が重要。私自身がいつも現場にいて、選手を見ながら、どうやったら力を引き出せるか、常に考えているように心掛けています。
それと、教える時は具体的に教えます。「ラケットを引け」ではなく、「あと30センチ手前に引け」とか、「もっと手首を使え」ではなく、「包丁でキャベツを切るように」といった具合です。
―― 今の時点で、上田さんと佐藤さんは、監督にとってどんな存在になっているのでしょうか?
西村 僕のほうが(真価を)問われている、ということですよ。最近は、練習が始まる前に、まず上田と佐藤の顔を見るんです。アイツらが元気だったら、ほかの部員たちも元気。そんなバロメーターの役割を果たしてくれています。もっとも、上田なんかは最近は大分悪くなりましたよ。僕が叱ったり、注意したりしても、都合が悪いことだと聞こえないふりをするんですよ、アイツは(笑)。
西村監督が学生たちに教えているのは、卓球だけではない。流行の表現で言えば、それは「人間力」である。
取材したこの日も猛練習の後、選手たちを床に座らせて「講話」を行った。この日の題材は、今年初めて入部してきた1年生の男子選手の勇気と努力について。この日は学外の男子チームの練習に参加していたため不在だったが、逆にそのタイミングを捉えてのことであろう。


練習後に講話する西村卓二監督(右)。選手たちは監督の言葉をメモに取っている(撮影:高嶋健夫)
「後輩と言っても、見習うべき点は多い」と女子選手たちに語りかけた。話は20分近くも続いたが、この間、ほとんどの選手は西村さんの言葉を懸命にノートに書き留めていた。こうした“西村教室”はいつもの風景だという。
また、体育館の片隅には、数十冊の書籍が入った段ボールが無造作に置かれていた。西村さんがポケットマネーで買い求め、自分で読んで良かった本ばかりだそうだ。スポーツ関係だけでなく、歴史者やビジネス書などもあり、選手たちは自由に借りていく。読んだ後は感想文を書くのが決まりだ。こちらはさながら“西村文庫”である。

体育館の片隅に置いてある貸し出し用の“西村文庫”(撮影:高嶋健夫)
人生の荒波に耐える強さとたくましさ
「指導者人生の残り数十メートルをどう走り切るか」を考え続けているという西村さんに、「具体的に目指しているゴールは何か」を問うた。西村さんはためらうことなく、「卓球の監督というより、人生の監督になりたい」と答えた。
最後に、もう1つだけ、質問した。上田さん、佐藤さん、加能さんの3選手へのインタビューを終えて、どうしても気になって仕方がないことがあった。それは、彼女たちの答えがあまりにも純粋で、完璧だったことへの“漠然とした危惧”である。
彼女たちはみな、今様の若者とは思えないほどしっかりしている。それは素晴らしいことだし、真面目だがフレンドリーな対応にも心から感動し、共鳴した。だが、東京富士大学と西村監督という巨大な庇護者に守られている今の学生生活と、これから出て行く社会との間には大きな落差があるのではないか。
世間にあるのは善意だけではない。無関心、無知、無視、冷淡、皮肉、嘲笑、ねたみ、そしり、時に悪意さえ露骨に顔を出す。それが、世間というものだ。
彼女たちは本当に大丈夫なのだろうか。真っ直ぐな分だけ、期待が外れたり、裏切られたりした時の心の傷は深いものになり兼ねない。西村さんにそんな老婆心からの心配をぶつけると、「うん」と頷き、頬笑みながらこう言葉を繋いだ。
西村 そうした心配は確かにあると思います。だからこそ、私はアイツらを一生懸命鍛えている。世間の荒波にも耐えることができるたくましさ、強さ、あるいは闘争心を身につけさせる。卓球というスポーツを通じて体力を鍛え、勝負の厳しさを教える。人生を乗り切る基本は、やはり体力ですからね(笑)。それが私の仕事、私に課せられた役目なんだと自覚しています。
「健常者と障害者の架け橋になりたい」という崇高な志。上田さんが打ち込んだストレートで力強いスマッシュを、ラケットの真ん中で受け止め、彼女たちの胸元にしっかりと打ち返すのは、私たちの社会が逃げずに果たさなければならない義務である。
障害者が輝く組織が強い 人材力・経営力の真髄ここにあり一覧
http://sawayakajs.ti-da.net/c160610.html
~日経ビジネスより~
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障害者と健常者、2つの世界を一緒にする!
東京富士大学卓球部《後編》
(「『日本卓球の中興の祖』が極める指導者の神髄《前編》」から読む)
福原愛選手をはじめ、数々の一流選手を育ててきた名コーチの西村卓二・東京富士大学卓球部監督(元卓球女子ナショナルチーム監督)。その指導を受けたいと、健聴者しかいない同部に飛び込んだ聴覚障害のある上田萌、佐藤理穂両選手。
昨年9月に台北で開かれた「第21回デフリンピック」(4年に1度開かれるろう者[聴覚障害者]の国際スポーツ大会)の女子卓球シングルスでそれぞれ銀、銅メダルを獲得するなど、西村監督の指導の下、着実に成長を続けている。
それから約1年。上田さんは3年生に、佐藤さんは2年生にそれぞれ進級。寮で上田さんと同じ部屋で生活し、面倒を見てきた先輩の加能尚子さんは4年生になり、今年度のキャプテンを務めている。
3選手と西村監督それぞれに、東京富士大学での競技生活と将来の夢についてインタビューした。
3時間を超える激しい練習の後、加能尚子さん、上田萌さん、佐藤理穂さんの3選手に体育館の脇にある監督室にもう一度集まってもらった。少しでも本音に迫りたいと考え、あえて西村卓二監督には席を外していただいた。

インタビューに答える加能尚子さん(左)、上田萌さん(中央)、佐藤理穂さん(右)(撮影:高嶋健夫)
念のため、手話通訳者を呼んでおいたが、上田さんも、佐藤さんもこちらの質問は「読話」でほぼ理解できていた。答えも発話で行い、聞き取れなかった場合だけ、手話通訳者に助けを求めた。
親友であり、良きライバルであり
―― 上田さん、佐藤さんは、子どもの頃に卓球を始めたとうかがっています。卓球に魅せられた理由は何ですか?
上田 私は4人兄弟なんですが、2番目の兄が同じ聴覚障害者で、卓球をやっていたことから興味を覚えました。まだ5歳の頃でしたが、たった1歳しか年が変わらない福原愛さんの試合を生で見て、憧れたのが直接のきっかけです。
―― 福原さんが「天才少女」と呼ばれていた頃ですよね。自分で始めてみて、卓球の魅力はどんな点にあるのでしょうか?
上田 卓球を通して、いろいろな出会いがあることです。私は小学校はろう学校に通いましたが、卓球以外では、健常者の人たちと関わりを持つ機会はほとんどありませんでしたから。
佐藤 私は協和発酵キリンの監督をしている父や兄の影響で、小学4年生の時に本格的に卓球を始めました。一番の魅力は、競技を通して自分をアピールできることです。
上田さんが中学、高校で全国大会に出場していたことは前編で既に紹介した。同じように、佐藤さんも中学3年生で全国中学校大会に出場、高校は卓球の名門、淑徳SC高等部に進み、インターハイに出場するなど、立派な成績を残している。2人が知り合ったのは、小学生時代でそれぞれ2年生と1年生の時。それ以来、お互いに励まし合う親友同士であり、卓球を始めてからは選手としての良きライバルでもある。
―― 改めて、東京富士大学を進路に選んだ理由をうかがいます。
上田 この大学でもっと成長したいと思ったからです。西村監督の指導を受けて、卓球についても、人間としても、いろんなことを学びたいと考えました。
佐藤 高校の時には、必ずしも完全燃焼できませんでした。だから日本一環境の整ったこの大学でもう一度挑戦したい、人間教育を大切にしている西村監督の下でもっと成長したい、と考えて進学しました。
試合会場で困るのはアナウンス
上田さんも、佐藤さんも、デフリンピックなどの聴覚障害者の大会だけを目標にしているわけではない。一般の学生リーグ戦などにも出場し、健聴の学生たちと戦っている。西村さんの言によれば、「いわゆる障害者スポーツとは違い、健聴者と全く同じ土俵、同じルールで戦うことに挑戦している」のである。
―― 健聴の選手と試合する際に、聞こえないために困ることは?
上田 試合会場で、自分が出る試合の卓球台がどこか、分からないことがあります。何番目の台で誰と誰が対戦するかは、試合当日、会場内でアナウンスされるだけなんです。それが分からず、焦ってしまうことがあるんです。
―― 普段の練習や日常生活で困ることは?
上田 子どもの頃は、同じ聴覚障害の兄がいたことで随分と助けられました。普通校の中学に入る時も、兄を知っている先生方は、聴覚障害者との接し方をよく理解されていましたから。
大学に入ってからも、ほとんど困ることはありません。1対1で話す時は、監督をはじめ部員は皆、大きく口を開けて、ゆっくりしゃべってくれますし。監督が部員全員に話す時など、1対複数ではよく分からないこともあります。でも、そんな時は誰かが後でフォローしてくれますから、不便さを感じることはありません。
佐藤 私も普段はほとんど困ることはないです。皆がかばってくれますから(笑)。ダブルスの試合中に、パートナーの口の開き方が小さくて、指示がよく分からないことはありますが、それもお互いに注意して解消するように努力しています。
上田さんも、佐藤さんも礼儀正しく、そして明るい。インタビュー中に、筆者が彼女たちの発した言葉を取り違えたことがあった。そんな時も、2人は萎縮することなく、「違いますよぉ」とケラケラ声を出して笑い弾ける。箸が転がってもおかしい年頃なのだろうが、ここまで素直な態度が取れる聴覚障害者には滅多に出会わない。すっかり彼女たちに魅せられてしまった。
「分からない」と言わないと、相手も分からない
「困ることはあまりない」という回答も、決して建前ではないだろう。だが、あまりにも優等生的に過ぎて、少し喰い足らない。そこで、2人を支えてきたキャプテンの加能さんに質問を振った。加能さんの立場は、会社組織に例えれば、偉い上司と若手・新人社員の間に立つ中間管理職にも似ている。つなぎ役には、人知れない苦労がつきまとうものである。
―― 上田さんが入学する時、西村監督に相部屋になるよう指示されました。その時、どんな気持ちでしたか?
加能 私で大丈夫だろうか、と不安でした。障害のある人と暮らした経験はもちろんありませんでしたし、親元を離れて1人で出てくる上田を支えなければならない責任の重さを感じました。
―― 最初の出会いから丸2年が過ぎた今はどうですか?
加能 上田も、佐藤もご覧の通り、明るくて素直なんで、とても助かっています(笑)。キャプテンとして皆に伝えることは、上田も佐藤もしっかりと理解してくれています。最初は人間恐怖症みたいなこともあるのかなと思っていましたが、全然違いましたね(笑)。ひたむきに練習に打ち込む上田と佐藤を見て、私のほうが励まされている感じです。
―― 2人の後輩とぶつかり合うようなことはなかったのですか。特に上田さんとは寮で同室。いろいろあったのでは・・・。
加能 話をする時に、しっかりと口を開かないと彼女たちには分からない場合があるのは確かです。上田も最初の頃は、分かったふりをしていることがありました。だから、「分からないとちゃんと言ってくれないと、こっちも困るんだよ」と、思い切って言ったことはありましたね。
上田さん本人は筆者の質問に対しては決して明言しなかったものの、そうした行き違いは、実は上田さんにとっても大きな悩みだったようだ。
西村さんが「取材の助けになるかもしれないから」と貸してくれたDVDの中に、そのことをうかがわせる場面が収められていた。デフリンピックに挑戦する上田さんたちの姿を追ったNHKや民放の報道番組数本を編集したものである。関西テレビが放映した関西ローカルニュースの特集に、1年生の最初の正月休みに帰省した上田さんと家族の久々の団欒を収録したシーンがあった。
食事を終え、母親と静かに語り合う上田さん。「困ったことはない?」と聞くお母さんに、しばらく沈黙した後、「あまり私に仕事をさせてくれない。何かあっても『私がやるからいいよ』って・・・」と答える上田さんの目には涙が浮かんでいる。じっと聞いていたお母さんは、こう言って諭し始めた。
「それは本当に優しい気持ちで言ってくれているんじゃない? 優しくしてくれたことに文句は言えないけど、確かに、優しさが辛いことだってあるよね。でも、それは萌から言わないと、(周りの人には)分かってもらえないよ」
かたわらで、同じ聴覚障害のある5歳年上のお兄さんが優しい表情でうなずく。そんな会話をしているうちに、上田さんは笑顔を取り戻していた。
この時の母子の対話と、加能さんが明かしてくれたエピソードが同じ時期の出来事だったかどうかは分からない。恐らくは、小さな衝突を含めて、こうした葛藤は何回もあったに違いない。いや、今でも時には繰り返されているだろう。それでも、3人の若者は口を揃えて「困ることはありません」と屈託のない笑顔で言い放つ。
双方を知るから、できることがある
これ以上深追いすることは止めて、それぞれに今後の目標や将来の夢を聞いた。
上田 卓球を通じて学んだことを活かしたいです。でも、まだ卒業後のことは具体的には考えていません。当面の目標は、2013年にアテネで開かれる次のデフリンピックに出場することです。
佐藤 私も今は、アテネで金メダルを取ることが目標です。そのために、これからの生活を大切にしたいと思っています。
一方、卒業を控えた加能さんは、より具体的な目標を語った。
加能 大学院への進学を希望しています。卓球部では上田たち聴覚障害者や中国からの留学生とも出会って、たくさんの経験をさせてもらいました。この貴重な経験を活かしながら、スポーツ教育に関わる仕事に携わりたいと思っています。
締めくくりに社会に対するメッセージをお願いしたところ、上田さんはしっかりとした口調で、次のように答えてくれた。
上田 私はこれまで健常者の中でも、ろうの人たちの中でも同じ卓球をやってきて、双方のいいところを自分に取り込むことができたと思っています。だから、どちらも経験している自分には、どちらにもそのことを伝えることができるはず。2つの世界が一緒になれるように、壁を少しでも低くしていきたいです。
「過親切」はかえって煩わしいはず
彼女たちに礼を述べ、入れ替わりで、西村さんにも今一度インタビューをお願いした。
―― 上田さんと佐藤さんを指導するに当たって、基本に据えているポリシーのようなものはあるのでしょうか?
西村 結局のところ、私は彼女たちとアスリート、競技者として付き合っている、ということですよね。同じルール、同じ用具で戦う以上、選手である彼女たちは障害があることを言い訳にはできない。指導者である私も、全く同じアスリートとして接しなければならない。そういうことだと考えています。
―― ですが、聞こえないという障害は、現実にありますよね。
西村 周囲の皆が理解したうえでの個別配慮は必要です。それはえこひいきではない。ですが、その理解がないと、本人たちには重荷になったり、時に卑屈になったりもする。要は、選手の立場になって考えることです。親切にし過ぎてはいけない。過保護ならぬ、「過親切」はかえって煩わしいのではないでしょうか。これは別に障害者だからと言うのではなく、誰だって同じですよね。
―― 彼女たちを実際に指導する時に心掛けていることは?
西村 これはほかの選手に対しても同じですが、大事なのは自分で考えさせること。いかに自立させるかです。そのためには、現場主義が重要。私自身がいつも現場にいて、選手を見ながら、どうやったら力を引き出せるか、常に考えているように心掛けています。
それと、教える時は具体的に教えます。「ラケットを引け」ではなく、「あと30センチ手前に引け」とか、「もっと手首を使え」ではなく、「包丁でキャベツを切るように」といった具合です。
―― 今の時点で、上田さんと佐藤さんは、監督にとってどんな存在になっているのでしょうか?
西村 僕のほうが(真価を)問われている、ということですよ。最近は、練習が始まる前に、まず上田と佐藤の顔を見るんです。アイツらが元気だったら、ほかの部員たちも元気。そんなバロメーターの役割を果たしてくれています。もっとも、上田なんかは最近は大分悪くなりましたよ。僕が叱ったり、注意したりしても、都合が悪いことだと聞こえないふりをするんですよ、アイツは(笑)。
西村監督が学生たちに教えているのは、卓球だけではない。流行の表現で言えば、それは「人間力」である。
取材したこの日も猛練習の後、選手たちを床に座らせて「講話」を行った。この日の題材は、今年初めて入部してきた1年生の男子選手の勇気と努力について。この日は学外の男子チームの練習に参加していたため不在だったが、逆にそのタイミングを捉えてのことであろう。


練習後に講話する西村卓二監督(右)。選手たちは監督の言葉をメモに取っている(撮影:高嶋健夫)
「後輩と言っても、見習うべき点は多い」と女子選手たちに語りかけた。話は20分近くも続いたが、この間、ほとんどの選手は西村さんの言葉を懸命にノートに書き留めていた。こうした“西村教室”はいつもの風景だという。
また、体育館の片隅には、数十冊の書籍が入った段ボールが無造作に置かれていた。西村さんがポケットマネーで買い求め、自分で読んで良かった本ばかりだそうだ。スポーツ関係だけでなく、歴史者やビジネス書などもあり、選手たちは自由に借りていく。読んだ後は感想文を書くのが決まりだ。こちらはさながら“西村文庫”である。

体育館の片隅に置いてある貸し出し用の“西村文庫”(撮影:高嶋健夫)
人生の荒波に耐える強さとたくましさ
「指導者人生の残り数十メートルをどう走り切るか」を考え続けているという西村さんに、「具体的に目指しているゴールは何か」を問うた。西村さんはためらうことなく、「卓球の監督というより、人生の監督になりたい」と答えた。
最後に、もう1つだけ、質問した。上田さん、佐藤さん、加能さんの3選手へのインタビューを終えて、どうしても気になって仕方がないことがあった。それは、彼女たちの答えがあまりにも純粋で、完璧だったことへの“漠然とした危惧”である。
彼女たちはみな、今様の若者とは思えないほどしっかりしている。それは素晴らしいことだし、真面目だがフレンドリーな対応にも心から感動し、共鳴した。だが、東京富士大学と西村監督という巨大な庇護者に守られている今の学生生活と、これから出て行く社会との間には大きな落差があるのではないか。
世間にあるのは善意だけではない。無関心、無知、無視、冷淡、皮肉、嘲笑、ねたみ、そしり、時に悪意さえ露骨に顔を出す。それが、世間というものだ。
彼女たちは本当に大丈夫なのだろうか。真っ直ぐな分だけ、期待が外れたり、裏切られたりした時の心の傷は深いものになり兼ねない。西村さんにそんな老婆心からの心配をぶつけると、「うん」と頷き、頬笑みながらこう言葉を繋いだ。
西村 そうした心配は確かにあると思います。だからこそ、私はアイツらを一生懸命鍛えている。世間の荒波にも耐えることができるたくましさ、強さ、あるいは闘争心を身につけさせる。卓球というスポーツを通じて体力を鍛え、勝負の厳しさを教える。人生を乗り切る基本は、やはり体力ですからね(笑)。それが私の仕事、私に課せられた役目なんだと自覚しています。
「健常者と障害者の架け橋になりたい」という崇高な志。上田さんが打ち込んだストレートで力強いスマッシュを、ラケットの真ん中で受け止め、彼女たちの胸元にしっかりと打ち返すのは、私たちの社会が逃げずに果たさなければならない義務である。
障害者が輝く組織が強い 人材力・経営力の真髄ここにあり一覧
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